《 海外レポート 》
福祉先進国、北欧の医療と健康政策の実態
2024年8月27日
一般的に税金が高額ながらも、医療費・教育費が無料になるなど社会福祉国家として知られる北欧諸国。理想国家のように語られがちですが、一体どのようにそのシステムは保たれているのでしょうか。
探ってみると、問題点はもちろん、直接的な医療行為に限らず、仕組み作りや、運動のモチベーションをいかにして保つかなど、福祉先進国の北欧ならではの参考になる点が数々浮かび上がってきました。今回は、北欧在住だからこそ見えてきた医療制度や健康政策の特徴、さらには今後の動向について探っていきたいと思います。
1. 日本と北欧の医療制度、大きな違い
世界5大医学誌である「ランセット(The Lancet)」が公開した2016年度版の「Healthcare Access and Quality Index(HAQインデックス)」によれば、日本の医療レベルは世界で12位とされています。
HAQインデックスとは、「適切な医療を受ければ予防や効果的な治療が可能」と考えられる32種類の死因をリストアップし、「防ぐことができる死をどれほど適切に防げているか?」について世界195か国それぞれを総合的に評価した指標です。
トップ10のランキングを見てみると、ノルウェー、アイスランド、スウェーデン、フィンランドといった北欧諸国が多く名を連ねていることが分かります。医療レベルの高い北欧諸国の医療とは、一体どのようなものなのでしょうか?
順位 | 国名 | HAQ指数 |
---|---|---|
1 | アイスランド | 97 |
2 | ノルウェー | 97 |
3 | オランダ | 96 |
4 | ルクセンブルグ | 96 |
5 | オーストラリア | 96 |
6 | フィンランド | 96 |
7 | スイス | 96 |
8 | スウェーデン | 95 |
9 | イタリア | 95 |
10 | アンドラ | 96 |
11 | アイルランド | 96 |
12 | 日本 | 94 |
13 | オーストリア | 94 |
14 | カナダ | 94 |
15 | ベルギー | 93 |
順位 | 国名 | HAQ指数 |
---|---|---|
16 | ニュージーランド | 92 |
17 | デンマーク | 92 |
18 | ドイツ | 92 |
19 | スペイン | 92 |
20 | フランス | 92 |
21 | スロベニア | 91 |
22 | シンガポール | 91 |
23 | イギリス | 90 |
24 | ギリシャ | 90 |
25 | 韓国 | 90 |
26 | キプロス | 90 |
27 | マルタ | 90 |
28 | チェコ | 89 |
29 | アメリカ | 89 |
30 | クロアチア | 89 |
※出典:THE LANCET
https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(18)30994-2/fulltext
まず、各国の医療制度は、財源とサービスの提供という面から大きく3つのタイプに分けられます。
社会保険システム
日本は、社会保険システムを採用しており、国民のほとんどが医療保険に加入し、その保険料を医療費の財源としています。医療機関は開業が自由で、国民による医療機関の選択も自由なのが一般的です。日本の他にも、ドイツ、フランス等で採用されています。
国営保険システム
2つめは国営システムです。税を財源として、国民一般にほぼ無料、もしくは少ない自己負担で医療サービスを提供する制度です。この場合、医療機関も公的医療機関が中心で、代表される国はイギリスや北欧諸国等です。
民間保険システム
そして 3 つめは、アメリカに代表される民間保険システムです。公的な医療保障制度は、高齢者等を対象とする制度と生活保護受給者を対象とする制度の 2 つのみで、国民一般に対する公的医療保障制度はありません。その代わりに多くの国民は、民間保険に加入することになります。アメリカの医療が一般的に高額と言われるのはこのためです。また、企業が保険料を負担して、従業員に民間保険を提供している場合も多くあります。
種類 | 主な国 | 主な特徴 |
---|---|---|
社会保険 システム |
日本 / ドイツ / フランス | 医療機関の選択が自由 |
国営保険 システム |
イギリス / 北欧諸国 | 医療費はほぼ無料、もしくは低額 医療機関を自由に選択することができない |
民間保険 システム |
アメリカ | 保険料が高額 |
それぞれの保険システムのメリットとデメリット
国営システムでは、医療費が安いといっても、日本とはまた違った不便さが存在するのも事実です。
例えば、典型的な国営システムを採用するイギリスの例を見てみましょう。まず、外国人も含むイギリス国内に住所を持つ人は、地域の診療所に登録する必要があります。医療機関にかかりたい場合は、緊急の場合を除き、まず登録した地域の診療所で診察を受けたのち、診療所の医師が専門医による診察が必要と判断した場合にのみ紹介状を書きます。最初から大病院等専門医のもとで診察を受けたくても紹介状が常に必要となり、日本のように自由に医療機関や医師を選択することができないのです。そのため、診療所には多くの人が集まりますが、専門医にかかることのできる人は少ないのです。
北欧諸国も運営が国か地方自治体か、あるいは診療所制か診療所に所属する家庭医制かの違いはあるものの、基本的に同様のシステムを採用しています。そのため生じてしまう長い待機時間が問題になっていますが、スウェーデンには、診療所にかかる前に電話で健康とケアに関する情報やアドバイスを取得できる1177(エルバフッティフー)という地方自治体の共同運営サイトがあり、緊急時や診療所が閉鎖した後など、電話で看護師の指示を聞くことができます。スウェーデンではこういった仕組みが功を奏してか、コロナ禍においても医療崩壊が起きませんでした。
《 参考 》
1177(エルバフッティフー)
https://www.1177.se/
「厚生の指標」2016年8月号(第63巻第8号) | 厚生統計協会
https://www.hws-kyokai.or.jp/publishing/type/magazine/103-magazine-list.html?start=99
2. 医療だけではない?北欧諸国の健康政策
また、北欧諸国の国民の健康に関する政策面にも興味深いものがあります。 例えば、歯の健康に関する政策は最たる例です。世界で最も歯科医療の進んだ国の一つと言われているスウェーデンでは、1970年代から虫歯と歯周病の予防が国家戦略として取り入れられてきました。スウェーデンに限らず、一般的に北欧諸国では、未成年のうちは矯正を含め無料で歯科治療を受けることができますが、成人の歯科治療は無料とはなりません。(年間日本円で5000円前後の歯科治療手当は有) 1回の検診は1000スウェーデンクローナ前後(12000~15000円程度)で受けることができますが、高額な分、未成年のうちに予防法や対策を理解し、その後の健康に役立てることが重要です。実際に、スウェーデンと日本の70才時点で自分の歯が何本残っているかの平均値を見てみると、日本では16.5本ですが、スウェーデンでは21本(※)と、5本近い差があります。親知らずを除いた成人の歯の本数は28本であることを考えると、充分な意識の違いを感じざるを得ません。
しかし、国民の健康を促進する手段は、直接的な医療行為だけとは限りません。北欧諸国では、数十年前から国家的に国民の健康に関する様々な政策が実施されてきました。
例えば、フィンランドの例を見てみましょう。フィンランドは、定期的にスポーツを実施している人(週1回以上)が国民の71%にのぼる世界有数の生涯スポーツ先進国としても知られます。(※Eurobarometer April-May 2022 Sport and physical activity - Data annex) この数値は2022年時点でEU諸国の中で一位の水準です。しかし、フィンランドは1960年代において、男性の虚血性心疾患による死亡率が世界で最も高く、不健康大国と呼ばれた国の一つでした。原因は、高脂肪・高塩分の食事に加え、運動不足と考えられ、フィンランド政府は1970年代からこれらの問題に法規制やスポーツ施設やサイクリングロードの設立などインフラ整備を行ってきました。The Guardian紙の2005年の記事「Fat to fit:How to Finland did it」によれば、地方自治体主導で、村ごとでコレステロール値を競い、勝ったチームに賞金を渡すなどの催しもあったのだそうです。同記事によれば、1970年代に比べ、フィンランドの心臓疾患による死亡率は65%減少、また肺がんによる死亡率もほぼ同じ割合で減少したと言います。
また、アルコール中毒はかつて寒冷な北欧諸国において深刻な問題でしたが、現在スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランドでお酒は専売公社制を採用しており、特定の店舗のみ取り扱いが許可されています。夜遅い時間や、日曜日には基本的にすべての店舗が閉まり、日本のように24時間お酒を買うことはできません。また、ノルウェー、デンマーク、アイスランドでは、お菓子やジュースといった食品に関し、砂糖税が導入されています。さらに、スウェーデンでは福利厚生の一種として非課税のパーソナルケア給付金(personalvårdsförmåner)が支給されることが一般的です。年間5000スウェーデンクローナ(70000円程度)を上限とし、ジムの会費など運動の要素を含むアクティビティや、マッサージなどストレスを軽減したり、痛みや凝りを和らげたりする治療に使用できます。さらには、食事のアドバイスや禁煙に関するカウンセリングにも利用できるのが特徴です。
一方で現在、国民の健康に関するもので早急に解決が必要な課題とされているのが、特に若者のうつ病等の精神疾患です。スウェーデンでは、16~29歳の女性の5人に1人が深刻な精神的ストレスを抱えていると報告されており、自分の人生が無意味だと答えるスウェーデン人の割合は2003年以降、6%から24%へと4倍に増加しているというデータもあります。実際に、デンマークでは2022年、スウェーデンでは2023年に、長い待機時間の解消など10年間に渡る大々的な精神医療の改革を目的とした法案が議会に提出されており、今後の変化が期待されています。
《 参考 》
Försäkringskassan
https://www.forsakringskassan.se/privatperson/tandvard/tandvardsstod
Skattverket(スウェーデン税務庁)
https://www.skatteverket.se/privat.4.76a43be412206334b89800052864.html
Sveriges riksdag(スウェーデン議会)
https://www.riksdagen.se/sv/dokument-och-lagar/dokument/motion/en-starkt-psykisk-halsa-i-hela-landet_hb022069/
Danske patienter
https://danskepatienter.dk/politik-presse/nyheder/bred-politisk-opbakning-er-afgoerende-for-fremtidens-psykiatri
Nationell strategi mot psykisk ohälsa - Christina Lucas (4 september 2023)
精神疾患に対する国家戦略 - クリスティーナ ルーカス(2023年9月4日)
https://www.life-time.se/framtidens-medicin/god-psykisk-halsa-malet-for-strategi/
3.医療システムが直面する課題
健康に対する意識が高く、医療の効率化も推進している北欧諸国ですが、それと同時に高齢化も進んでおり、そのため、医療・介護の担い手不足も懸念されています。医療・介護者不足を補うため、医療分野に従事する人口を増やす取り組みや、ロボットの活用などが積極的に検討されている段階にあります。
例えば、ノルウェーの例を見てみましょう。医療職は、人手不足な業界のトップの一つです。ノルウェー労働福祉庁(NAV)の調査によれば、2022年ノルウェーでは看護師、専門看護師、助産師が合計6,600人不足していました。2024年時点では、今ではその数は4,300人まで減りつつあるものの、同国統計局の予測によれば、看護師不足は2040年に4万6000人に達する可能性があると言われています。ノルウェーの人口500万人超であることを考えると大きな割合であり、国家危機に結びつくと言われるほど懸念されているのが実情です。また、移民労働者も多いノルウェーですが、移民の看護師の割合は、資格取得にノルウェー語が必須といった条件も相まって現在5%程度にとどまっています。医療従事者を増やすため、待遇改善や職場環境の整備、看護学校や看護資格の成績要件の引き下げなどの議論が活発に行われています。隣国スウェーデンでも看護師による労働時間の短縮を目的としたストライキが起きており、働き方の改善は重要な課題と見なされているようです。
また、他国も同様にAI活用による効率化にも高い関心が寄せられ、日々検証が進んでいます。
最近実用化が実現された例でいうと、2023年8月、ノルウェーのベールム病院(Bærum sykehus)は、軽度の骨折が疑われる場合に、AIによるX線検査ツールを本格的に治療に活用した国内初の病院として報告されました。同様のシステムは日本にも存在しますが、ベールム病院では事前にAIの判定により骨折していることが証明された患者が優先的に治療に送られ、一方で骨折のない患者は帰宅できる仕組みになっています。念のため骨折していないと判断された写真も、翌日、医師による判定を行うそうです。また、職場環境改善の観点から言うと、同じくノルウェーのムンクヴォル健康福祉センター(Munkvoll helse- og velferdssenter)では、病気による休暇の日数をAIにより予測するSynplanというソフトウェアの開発が行われ注目を集めています。例えば、インフルエンザの流行期など、病欠者が増えることが予想される期間は年間に何度か発生します。それらをあらかじめ予測しておくことができれば、事前に人員の配置に余裕を持たせておく等の対策ができ、もし病気にかかったとしても安心して休暇を取ることができます。
効率性と働く人の労働環境を同時に重視するノルウェーのAI活用術、皆さんにはどう感じられるでしょうか?今後どのように発展していくかも興味深い分野です。
《 参考 》
Sykepleien(ノルウェー看護協会)
https://sykepleien.no/
4.まとめ
いかがでしたか?これらをまとめると、
- 日本と北欧諸国は異なった医療システムを採用しており、日本では気軽に専門医にかかることができ、医療機関の選択も自由だが、北欧諸国では気軽に専門医にかかることは難しい
- 北欧諸国では気軽に専門医にかかれないが、病気を未然に防ぐための仕組みが充実しており、健康への意識が高く保たれている
- 医療従事者の不足は日本と北欧諸国の共通の問題だが、AIの活用による医療行為の効率化や、労働環境の改善には期待が集まっている
北欧と日本は社会の仕組みも考え方も異なりますが、一つ一つを見ていくと、個々人の健康へのモチベーションを上げる仕組み作りや業務効率化の観点など、ハッとさせられる部分が多くありました。
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照明士の資格を持つヨーロッパ圏在住の海外特派員。
現地語にあたふたしながらもヨーロッパのイベント情報や市場調査に勤しんでいる。