健康経営のためのオフィスとは?
健康のために照明ができること
2023年2月21日
超高齢化社会の進む日本では、今後の急激な人口減少に備え、国民の健康寿命の延伸が叫ばれています。
昨今は企業活動においても、従業員等の健康管理を経営的な視点で考え戦略的に実践する「健康経営」の視点が取り入れられ始めました。これは日本再興戦略・未来投資戦略に位置付けられ、経済産業省による健康経営優良法人認定制度も始まっています。
しかし健康増進への関心が高まる一方で、照明が人々の健康や生産性と密接に関わっているということは、まださほど認識されていないのではないでしょうか。今回は照明士の資格を持つ筆者が、知られざる照明と健康の関わりについて解説していきます。
1. 従来の建築照明の役割とは?
良い照明デザインとは何でしょうか?
1950年代後半から照明コンサルタントとして活躍し、現代的な照明デザインの創始者とも言われるリチャード・ケリーは、自身の照明哲学として、Focal glow (焦点を定めた光)、 Ambient luminescence (焦点を定めない周囲の明るさ)、Play of brilliants (輝きの遊び) の3点を提唱しました。
スポットライトに代表される「モノ」に焦点を当てる光、間接照明に代表される壁面や足元などをぼんやりと照らす光、そして、イルミネーションに代表される光のデコレーション、そしてその組み合わせ、彼が提唱した三つの考え方は、今でも現代の照明デザイナーたちに大きな影響を与え続けています。
一般的に照明計画はその装飾性や美しさだけでなく、場の安全性や作業性を意識したものでなければなりません。場をドラマティックに演出することも照明の大切な役割ですが、普段作業する机の上や転びやすい段差など、明るさが必要な部分には狙いを定め、それらを充分な照度で照らす必要があります。一方、空間演出の意図のない箇所、もしくは作業などを伴わない壁面や通路は、雰囲気や安全性を損なわない程度の明るさを維持すれば良いと言えます。これらを効率的に組み合わせた「タスク・アンビエント照明」と呼ばれるアイデアは、特にヨーロッパのオフィスデザインで広く普及し、近年は日本でも省エネルギー化の文脈でも注目されています。
夏は昼の時間が長く冬は夜の時間が長いヨーロッパでは、もとより昼光照明を充分にいかした照明計画が好まれることが多いです。空間のベースとなる明かりは最低限にとどめ、それぞれのデスクに作業灯を設置することで快適性と省エネを実現する、タスク・アンビエント照明が日本でも普及していくと良いですね。
タスク・アンビエント照明を取り入れたオフィス
2. 注目されるサーカディアンリズムと照明の関わり
建築以外の角度からも照明について考えてみましょう。
例えば寝る前に携帯電話を見ていて、つい眠れなくなってしまった経験はありませんか?また、時差ぼけや睡眠障害の治療では朝5,000~10,000ルクスの光を30分~1時間浴びる高照度光療法という治療が適用されます。これらは、2017年のノーベル生理学・医学賞の発表でも話題になった時計遺伝子の働きによるものです。
時計遺伝子は、体内時計細胞内で時計蛋白を合成し、それらが相互に結合、分解されることを繰り返しており、それらが体内時計の「サーカディアンリズム」と呼ばれる約24時間周期の信号を生み出していると言われています。信号そのものは外的な環境に関係なく形成されるものですが、目から光が入ることによってリズムの修正が起こります。その結果、体温や睡眠を促すメラトニン量のリズムなどにずれが起こることがあり、睡眠障害を引き起こします。つまり人工的な光の環境下で生きる私たち現代人は、常に不眠になりやすい状態にあると言えるのです。
それらを踏まえ、外からの光を計算に取り入れた照明デザインや、自然の光に近づけた、朝から夕方にかけて、明るく青みを帯びた状態から明るさを抑えた橙色の状態へと変化する照明などが、近年建築にも積極的に取り入れられるようになりました。近年はガラスを多く使い、周囲の環境と溶け込むように設計された公共施設や商業ビルを見かけることも増えましたよね。つい長居したくなってしまったという人も多いのではないでしょうか。サーカディアンリズムに準拠した生活は、実際に心身の負担を減らすという話もあるようです。ドイツの実験(*1)で、サーカディアンリズムを取り入れた照明を病院内に設置したところ、昼夜逆転患者の覚醒時間が減少し、ナースコールの総数が減少したという結果もあるほど。国内外で引き続き研究がすすめられています。
*1 Michele De Rui, Silvia Gaiani, Benita Middleton, De bra J Skene, Sami Schiff, Angelo Gatta, Carlo Merkel, Piero Amodio, and Sara Montagnese. Bright times for patients with cirrhosis and delayed sleep habits
3. 日本のオフィスは明るすぎ?
厚生労働省による「令和元年度の国民健康・栄養調査報告」では、被験者全体の約20%が週に三回以上、睡眠全体の質に満足できていないと答え、日本人にとって不眠はとても身近な症状であることがうかがえます。
また、睡眠の妨げとなる点についても、20代は男女ともに「就寝前に携帯電話、メール、ゲームなどに熱中すること」と回答した人の割合が4割強と最も高かった一方で、30~40代男性では「仕事」と回答した人の割合が高く、特にこの年代の男性は多くの時間をオフィスで過ごしているとも考えられます。
出典:令和元年度の国民健康・栄養調査報告(P.56から睡眠の項目)
また別のデータ、「睡眠に関する意識・行動調査報告」(日本インフォメーション株式会社調べ)によると、実に約半数の人が日常的に睡眠に関して悩みを抱えていることがわかります。こちらでも睡眠時間の不足や、日中のだるさ・眠さなど、サーカディアンリズムと密接に関わりがあると見られる悩みを訴える人の割合も少なくありません。
出典:日本インフォメーション株式会社「睡眠に関する意識・行動調査 ~日本人の半数は睡眠不足?~」
しかしながら、睡眠に関する対策として「湯船につかる」(23.2%)や「適度に身体を動かす」(21.4%)を挙げている人の割合と比べ、「照明にこだわる」(3.9%)を挙げる人はまだまだ少ないようです。
不眠は万病の元とはよく言われますが、はたして日本のオフィス環境はどうでしょうか。労働安全衛生規則では、労働者を常時就業させる場所の作業面の照度基準が定められています。
「精密な作業」で300 Lx(ルクス)以上
「普通の作業」で150 Lx以上
「粗な作業」で70Lx以上
となっていますが、今現在日本の多くの事業所ではこの水準を大きく上回っていると言われているのをご存知でしょうか。
ビルの新築時に照明設計者が準拠する規格は、労働安全衛生法ではなくJIS Z9110 です。
基準値は、
事務所(a)(営業室、設計室、玄関ホール) 750Lx~1,500Lx
事務所(b)(役員室、会議室、電算機室等)300Lx~750Lx
となっており、ランプが寿命を迎えたときの照度がJISで定める値になるように設計します。つまり、現場の照度は常に設計値より明るくなっている可能性が高いのです。日本では部屋を均一に明るく照らす蛍光灯やシーリングライトが普及し、空間の明るさを肯定的に捉える風潮が生まれました。しかし、それらが夜間まで続くとなると、日々の眠りの質を下げてしまっている可能性も同時に存在すると言えるでしょう。
冒頭に触れた「健康経営優良法人認定基準」を見ると、受動喫煙や長時間労働への取り組み、運動・食生活などへの意識改善など、企業が従業員の健康のために配慮すべき点は数多く挙げられています。照明設備に特化した項目は今のところありませんが、現在「従業員の心と身体の 健康づくりに関する 具体的対策」内に挙げられている長時間労働者やメンタルヘルス不調者への取り組みとして、サーカディアンリズムの考えを取り入れた照明設備が直接的に良い影響を及ぼす可能性もあります。加えて、日々刻刻と変化していくヘルスケアトレンドを鑑み、従業員の睡眠への取り組みが基準に組み込まれることもあるかもしれません。今後も注目していきたいですね。
4. 快眠のため寝室づくり
そうはいっても、今すぐに調光調色設備を導入できる状態にないという方のために、寝室照明のポイントを3点お伝えします。
① 間接照明やフロアスタンドを使う
寝室では、目に直接光が入らない照明配置を心掛けましょう。シーリングライトに代えて壁や天井を照らす間接照明を使ってみたり、スタンドライトを部屋のベースとなる照明として用いたりするのもおすすめです。照明器具単体では明るく見えなくても、壁や天井に反射させることで部屋全体の雰囲気も明るくなりますよ。
② ベッドサイドにも光を
寝る前のスマホチェックや読書による目の負担を減らすためには、ブックライトが有効です。金属製のシェードがあるランプを使うと、外側に漏れ出る光が少ないので目に光が入りにくくなり、より効率的に手元を照らせますよ。単体では明るさの足りないシャンデリアなどをメイン照明として使っている場合も、ベッドサイドランプの明るさと組み合わせることで快適な明るさに調節することができます。
③ 足元の安全にはフットライト
寝室内に障害物が多かったり、洗面所までに距離があったりする場合は、フットライトを取り入れてみましょう。低照度空間でも安心して移動することができます。
ぜひ、生活に取り入れてみてくださいね。
まとめ
普段あまり意識されることのない照明や調光設備ですが、実は体内時計の仕組みを通じて人々の健康と密接にかかわっています。適切に取り入れながら、質の高い睡眠に繋げていけると良いですね。
そして健康経営に注目が集まる昨今、今後は睡眠への対策にもスポットライトが当たることがあるかもしれません。夜勤や残業が多く、従業員のメンタルヘルスや生活習慣病が心配だという企業様はぜひオフィスへの調光調色設備の導入もご検討ください。
Sanko IBでは、ホテルやオフィス等の照明制御やシーン設定などのシステム構築をおこなっております。ご興味のある方はお気軽にご相談ください。
照明士の資格を持つヨーロッパ圏在住の海外特派員。
現地語にあたふたしながらもヨーロッパのイベント情報や市場調査に勤しんでいる。